神待ち

思わず神様にお願いしてしまった今思うと大したことないこと

子供時代のことを振り返ると、なんであんなことで悩んでいたのかなと思ってしまいます。

 

成長して振り返ることができるようになったからこそ、なんであんなことで「神様お願いします」とお願いしてしまったんだろうと思うことがたくさんあります。

 

たとえば、私は運動が大嫌いな女の子でした。運動会のかけっこや、マラソン大会などではかならずビリ。跳び箱だって3段の跳び箱すら飛べないような運動音痴だったのです。

 

なので小学校で体育の授業がある前日や朝にはかならず神様に「雨を降らしてください」や「休校にしてください」とお願いしていました。

 

それで、まぁそのお願いが通ることって基本的にないんですが、とてもいい天気だったりするとどうして神様は叶えてくれないんだろうと本気で悲しくなったことがあります。

 

また、ある時は自分勝手なお願いをしておきながら、「どうせ神様は叶えてくれない、意地悪なんだから」と自棄に走っていた時期もありました。

 

一時期は「運動神経抜群な女の子にしてください」と、かけっこで一番になる自分を思い描いて神様にお願いしたこともありました。

 

他には「○○君が好きになってくれますように」とか、女の子らしいお願いもしましたね。

 

今考えると、運動に関しては自分で運動音痴を直したり、好きな子に関しては、自分を磨いたりする努力をしないで神頼みをして、叶えてくれないからと理不尽に怒っていた自分が本当におかしく思えます。

 

自分でできることはやって、それでもだめなら神頼み、というのが普通ですよね。

 

子供時代だけでなく、お腹が痛くなるとなぜか「神様許して」とお願いしてしまいます。

 

自分でも理由は分からないんですが、なぜか「あの時あんな悪いことしたからかな」「もう二度とあんなことはしませんから」といってなぜか過去の自分の態度を反省したり、過去の悪態を悔やんだりしてしまいます。「だから許してください」と何に対してゆるしを請いているのか、腹痛が去った後、冷静になると自分が恥ずかしくなってきます。

 

そんな、普通の生活で「神様お願いします」と思ってしまうのに、初詣などで神社に行ってお賽銭をなげて鐘を鳴らして手を合わせた時、思い浮かぶお願い事って何もないんですよね。

 

何も思い浮かばなくて「今年一年健康に過ごせますように」など無難なお願い事を心の中で唱えてしまうからなおさら笑えます。

 

仮にもし、お願い事をして叶えてもらったらきちんとお礼をしないといけませんね。


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